中長期を見据えた既存の延長線上にない事業探索
−「ボイラ未来検討プロジェクト」がスタートしたきっかけを教えてください。
私は長崎のボイラ製造を担当する工場に入社して、長らく物を作る現場にいました。ボイラとは、石炭などの燃料を燃やし、その熱で水を温め、高温高圧の蒸気を作る装置です。その蒸気でタービンという大きな回転体を通じて発電機を回し発電します。
2014年には現場から本社へと移り、2016年からはボイラ製造部門について事業計画の元となる情報を集め、事業計画の立案に関わる仕事に従事しました。この部門では、様々な事業環境の変化に関する情報に触れる機会が多く、次第に課題意識を抱くようになりました。
日本は化石燃料などの資源がない国なので、それら資源を輸入することで燃料を確保し、発電をしています。東日本大震災が起きてからは、特に様々な燃料をバランスよく輸入することがエネルギーセキュリティの観点から重要だと考えられるようになりました。例えば、石油だけに頼れば、中東で何かが起こった時に輸入することができなくなります。資源の中で、石炭は埋蔵量が豊富で多様な地域から輸入することができるため、日本にとっては非常に重要なエネルギー源といえるのです。
このように、石炭を燃やす火力発電は、長らく日本の生活を支え続けてきました。しかし、パリ協定が発効され、脱炭素の声が様々なところで高まり始め、次第に再生可能エネルギーが増えてきています。
これまで、我々は、ボイラのエネルギー効率を上げることで省エネや低炭素に貢献してきました。エネルギー効率とは、燃料の持つエネルギーの何%が蒸気に変換されているかという指標です。私も入社してから、世界で一番効率のよい石炭火力発電所を作ることで日本や世界の環境問題に貢献できると信じてきました。これまでの延長線上に今後の事業があると考えていたのです。
しかし、社会的な脱炭素への意識が高まり、「現在の延長線上だけを考えていてよいのか?」と危機感を持ち始めます。とはいえ、会社のボイラ事業には100年以上の歴史があり、急な方向転換は難しい。そこで、5年後、10年後に向けて、既存の延長線上にない事業を探っていくために、2017年2月から「ボイラ未来検討プロジェクト」をスタートさせたのです。
メンバーの思いから始まる未来検討
−「ボイラ未来検討プロジェクト」にどのような思いがこめられていましたか。
私は製造現場で働いていたので、工場で働く人々が地元で働き続けられるようにしたいという強い思いがありました。現場で働く社員は、様々な生産技術・加工分野のエキスパートです。ボイラ事業がなくなれば、磨き上げたそのスキルを存分には活かせなくなってしまいます。
将来的に事業を変えなくてはならないとしても、人を入れ替えるのではなく、今いる社員の力を活かしながら、事業や組織を変えていく方法を見出したいと考えました。人が安心して働ける組織づくりを目指したかったのです。新たな事業に取り組むには、教育も時間も必要ですから、すぐにでもプロジェクトを始動させる必要があると思いました。
当時はダイベストメントという言葉が出始めた時期でもあったので、当時のボイラ技術本部の役員へ「資源投資が引き上げられれば事業存続は難しくなります。会社の体力がなくなってからでは遅いので、事業が続けられる体力があるうちに新しいことを考えていく必要があると思います」とプレゼンテーションし、「未来検討プロジェクト」の必要性を訴えました。
その結果、10名弱でプロジェクトをスタートさせることができました。初年度は部長職・課長職を中心に中堅メンバーで取り組みました。
プロジェクト初回は、フューチャーセッションズの表参道オフィス(当時)で実施しました。新しいことを柔軟にスタートするにあたり、会社の会議室では気分が乗らないだろうと表参道にお邪魔したのです。
そこでは、このプロジェクトに対しての各々の思いを共有しました。ある参加者は、「いずれ脱石炭の運動が世界の趨勢を占めてゆけば、子どもに自分の仕事を誇れなくなる時代が来るかもしれない」という思いを吐露しました。これまでは、自分たちが良い製品を作ることで世の中に貢献できると思っていたのに、それを否定される社会になりえるのだという事実にショックを受け、メンバー全員が改めて自分の仕事を考え直す機会となりました。
社外の協力者から言われた印象的な言葉
−プロジェクトを進めていくうえで、どのような発見がありましたか。
最も苦労したことは、今の事業の枠組みを超えて発想することです。これまで、事業をブラッシュアップさせていくことが業務の中心だったので、最初の頃は「何を言ったらいいのだろう?」と戸惑うメンバーも多かったです。ただ、わからないことに対しても自分の意見や考えを言える人を選んでいたので、沈黙して対話が停滞することはありませんでした。
初年度は、2ヶ月後の3月末の報告に向けて毎週集まり、その後は月に1回程度は直接対話をしました。こうしたプロジェクトは、どうしても既存の仕事に対して優先順位が下がってしまいがちです。メンバーには課長や部長など「長」のつく人も多かったので時間を確保するのも一苦労でした。
−社外の協力者との対話で印象に残っていることはありますか。
プロジェクトスタート後1ヶ月ほどで、社外の方とセッションをしました。これまでは、「社外」といえど、接点があるのは業界内の方がほとんど。しかし、このセッションでは、ゼネコンや鉄道、自動車関係など様々な業界・業種の方に参加していただきました。
こうした多様な方々と対話したのは、「環境とエネルギーは、必ずしも両立できるわけではなく、エネルギーを自然から得ている以上、なんらかの環境的インパクトを与えている。その問題点を考えよう」というテーマでした。
その際、ゼネコン企業の方は、「ゼネコンの目指す姿は高層ビルをやめること。本来、高層建築は望ましくないと思っています。災害に強い真に安全が保証された街づくりをしたい」とおっしゃっていて驚きました。
また、鉄道会社の方の視野の広さも印象に残っています。彼らは、電車という単位で考えるのではなく「街」という視点で事業を見ており、「電車を使う人の立場に立ったとき、本当に魅力的な街とはどんなものなのかを考えたい」と語られました。
さらに、その時、我々はSDGsという言葉を初めて聞きました。今ほど、普及していなかった概念とはいえ、「我々のアンテナは偏っていたんだな」と気がついたのです。目前の製品の性能を上げることはたしかに大切なことです。しかし、私自身はそれにこだわるあまりビジネスを俯瞰的に見る視点がまったく足りていなかったと思い知らされました。
ステークホルダーを広く捉えたり一歩引いて事業を眺めたりすることで、これまで見えていなかった世界が見えるはずだと思いました。この経験は、プロジェクトを構想する上で大きな気づきとなりました。
バックキャスティングで未来を描くフューチャーセッションの手法
−フューチャーセッションズとプロジェクトをどのように進めたか教えてください。
フューチャーセッションズにお世話になった点は、大きく3つあると感じています。
1つめは、シナリオプランニングとバックキャスティングという手法を伝え、リードしてくださったことです。初めてフューチャーセッションズとお話をした時に、「未来は自分たちで作るものだ」というフレーズに強く共感しました。
私達の業界では、政府の政策、IEA(国際エネルギー機関)の報告書、調査会社のレポートをベースに事業計画を立案することが多いと思います。しかし、未来には多様な可能性があるはずです。自分たちで仮説を立てて検証し、判断していく。フューチャーセッションズは、その大切さに気づかせてくれました。シナリオプランニングの考え方は未来の多様性に対するアプローチの仕方を、バックキャスティングは不連続な未来へのアプローチの仕方を教えて頂いたと思います。先が見えない今の世の中にとってはどちらも重要ですし、そのような思考をみんながいつも意識することが組織の底力を上げると思っています。
2つめは、スケジュールを踏まえて、マネジメントとファシリテーションをしてくださったことです。メンバーは目の前の仕事に忙しいので、スケジュールに基づいて推進していただいたことは非常にありがたかったです。
3つめは、議論の成果の「見える化」をしてくださったことです。バラバラに発信された情報が形になって「見える」「使える」形で手元に残ることで、「前回はこういう議論まで進んだ」と確認をした上で、新たな話し合いを始めることができました。議論の蓄積を可視化することで、連続性を持った対話ができますし、成果を実感できるのでメンバーの達成感にもつながっていきました。
次につながるプロジェクトの成果
−プロジェクトを通じて、どのような成果がありましたか。
未来シナリオや新規事業を考える中で、自分たちの業界に直接関係ないと思っていた世の中の動きにも敏感になりました。もしかしたら、「自分たちのビジネスと関係あるかもしれない」という視点で見られるようになったのです。
時には、ミーティングで「10年後こんなことが問題になるだろう」と話した次の日のニュースで、その問題を解決する事業の話題が出ていることもありました。自分達の考えていることが、社会の速度に比べてまだまだ遅いのだということを痛感させられました。
こういった情報をプロジェクトメンバー間で共有し、みんなで社会に目を向けて対話できるようになったことは大きな成果だと思っています。
「ボイラ未来検討プロジェクト」初年度は、既存の事業に近いアイデア、他業界の低炭素化の活動に貢献するアイデア、食糧問題についてのアイデア、サーキュラーエコノミーに対するアイデアなどが出され、最終的に3つのビジネスモデルを提案するまでにいたりました。結論から言うと、どれもすぐに事業化できるようなものではありませんでしたが、社会を俯瞰して多様な切り口の提案ができたと考えています。
役員からは、「多様な部門へ意見を聞きに行け」とアドバイスをもらい、社内で何度もビジネスモデルのプレゼンテーションをする機会を得ました。ある役員からは、食料問題のアイデアについて「我々は、化石燃料をエネルギーにして電気を作っているけれども、人間は食べ物をエネルギーに変えて活動しているので、ある意味で食糧問題はエネルギー問題といえる。我々はエネルギーの会社だから、食料問題の解決は全く畑違いの事業とは言い切れないね」と意義付けしてくださり、納得感と事業の可能性を感じることができました。
−これからどんなことを実現したいと考えているかを教えてください。
私はプロジェクト立ち上げから1年間ほどで部署を異動してしまいました。しかし、それから、当プロジェクトは継続し4年目に突入しています。メンバーを変えながらも、継続・発展していくことが未来につながっていると感じています。
今後は、こうしたプロジェクト活動への関心が、社内で一層広がってほしいと願っています。多様な物事にアンテナを高く張り、自分たちの事業を広くとらえ、その中で色々な可能性を抱けるとよいですよね。
また、新規事業を考える際には、若手社員がアサインされがちです。若手からは、多様なアイデアが出てくる傾向がありますが、まだ社内での権限がないので自分たちだけでは動きにくい側面もあります。意思決定ができる役職の人が未来を見据え、プレーヤーとしてプロジェクトに参画できるような組織も大切ではないかと考えています。
これからも、枠にとらわれず多様な可能性から事業を構想する視点を大切にしていけるように社内で活動の輪を広げていきたいと思っています。