大学にとってチャレンジングな取り組みであったCOI TOHOKU
――「COI TOHOKU」をスタートするきっかけについてお教えください。
末永)COI TOHOKUは2013年に始まっていますが、その前から大学はどうあるべきかという議論があり、社会に開かれた大学とはどうあるべきか?大学の社会貢献とはどうあるべきか?ということを議論していました。東北大学でも様々な試みがなされていましたが、国からの研究費だけをあてにするのではなく、企業との共同研究で研究費を得るという流れがありました。そうした時に東北大学が、新しいバックキャスト型の横断的な研究を企業と一緒にやっていく事業として、センター・オブ・イノベーション(COI)事業に採択を受け、拠点としての活動がスタートしました。
――「COI TOHOKU」では、どのような領域に取り組んでいるのでしょうか。
末永)人生100年時代において、年齢を重ねても、生きがいを持って毎日を健康快活に過ごすことができるように、「さりげないセンシングと日常人間ドックで実現する自助と共助の社会創生拠点」を目指して活動しています。
東北大学というと社会の皆さんは、 材料や電子デバイスに強いというイメージがあるかと思います。しかし、バイオやヘルスケアでも実績があり、これらの領域についても東北大学がやっていることを広く示していきたいと考えました。
ヘルスケアは多くのことを考えなければなりません。そのためには横断的な体制が必要で、最初から文系の先生も含め、いろいろな分野の先生をリクルートしました。そして、もう一つは若手の研究をなんとか活性化したいという想いもあり、若手の登用も積極的に行いました。
「COI TOHOKU」の活動が大きく転換したタイミング
――どのような想いで「COI TOHOKU」をリードされてきたのでしょうか。
和賀)私は、2017年から参画しました。プロジェクトが半分ぐらい進んでいたところだったので、入り方も難しかったです。時間をかけてできる大学でのプロジェクトだったので、すでに文化が生まれていた時期です。当時の拠点の課題が、研究のシーズありきになっていることでした。拠点のビジョンを明確にして、皆さんの心が集まるようなことを設計しないといけないと考えました。
参画している先生、企業の方々みんなで1箇所に集まって対話し、ビジョンからのバックキャスティングを再設定していく必要があると感じました。対話の場の導入や設計、バラバラの意見がまとまって整理されてくるノウハウや経験をたくさんお持ちのフューチャーセッションズさんにビジョンを共創するセッションをお願いしました。
セッション当日は、ヨガの先生が来てみんなでストレッチするとか、 煮詰まらないような工夫もあり、空気が入れ替わってリフレッシュし、 皆さんが持っている温かいものが表に出て、「ヘルスケア」が“自分ごと”になって話されていました。以降の拠点活動においては、あの場を経験した先生方のCOI TOHOKUに対する熱量が上がり、心から参加する人が増えてきたのを実感しています。
更に、私にとってありがたかったのは、COI TOHOKUに途中から参加した自分に対して「この人は何者なんだろう」という冷たい感じではなく親切な人が増えてきたことです。参画する全員の共通認識として持てるアウトプットが出せましたし、メンバーの意識変化も起きました。
末永)あのセッションが一つのターニングポイントになりました。それまでも集まる機会はありましたが、お互いのことを理解できていなかったように思います。それが、集まってみんなでワイワイガヤガヤやったことで、同じようなところを目指してやっていたということが理解できた、皆さんのベクトルが集まってきたというのが大きかったです。
――具体的にどのような変化が起きたのでしょうか。
末永)特に大学の先生方は、それまでは基礎的な研究をやっていたこともあり、COI全体というよりも自分の研究について考えていた状態でした。バックキャストの再設定のセッションをやってからは、各々がビジョンについて考え、COI全体の中で自分の研究はどこに位置づけられるか?ということを考えるようになってきました。
和賀)それまでの会議では、各先生の進捗報告が続くだけで、拠点全体、東北大学全体という視点は少なく、企業も自社の製品ばかり考えていて、どこかに溝が残りながらやっていくという印象でした。
それが、セッション後は、一体感が出て、各研究をされている先生方も企業もみんなが同じフォーマットで資料をまとめ、「はかる、わかる、おくる」といった共通言語を使うところまで来ました。
これからの大学のあり方を示した「COI TOHOKU」
――「COI TOHOKU」の成果とは何でしょうか。
末永)このプロジェクトは9年という国家プロジェクトとしては長いものです。長期的な視野で物事を考えることができました。また若手が将来を見据えて長い目で研究ができるプロジェクトでもありました。
これまでも大学は、産学連携に熱心で企業との共同研究も行っていましたが、どちらかというと基礎研究、応用研究がメインで、大学の先生が社会実践に近いものに携わる機会は多くはありませんでした。しかし、COI TOHOKUでの活動を通して、大学も社会実装に関われ、それを通して社会に貢献できる、ということをある程度示すことができたのではないかと感じています。
和賀)海外の大学でも仕事をしていますが、複数の企業・組織が同じ方向を見て成果を出そうとするプロジェクト、という普通ではありえないことが起きています。日本独特の面白い文化が、大学を中心として、企業連携が生まれる可能性が感じられます。契約書ではなく、志で一緒にやりたいというのが2社ぐらいであれば成立すると思いますが、それが3、4社と増えていくと、成り立たないと思っています。
しかし産業が複雑化してきていて、昔のように安く同じものを大量に生産することは成り立ちません。大量消費の時代ではない中で、全然違うお客様との関わりを経験している会社が知恵を持ち寄るというのは、いろいろな可能性につながると思います。割り切った共同研究関係ではなく、もう少し深いところで心通じ合える企業連携ということで、新しいことができる。例えば自動車産業で一つの会社がエコシステムを作っていたりする。アニメのように一つのビジョンで分業しながらやっていたりする。そういうのが私たちは得意なのではないかと思う。新しい時代の企業連携、大学を中心とした企業連携がまさに今生まれようとしています。
――次のステージに向けて、どのようなことにチャレンジされますか。
末永)大学は基礎研究や先端研究が重要。企業の皆さんと一緒に自分の研究成果を社会に還元することも重要。どちらかに絞るということではなく、幅広く研究開発を展開していくことがこれからの大学にとって重要だと考えています。
これまで、大学の先生は自分の専門領域の企業しか知らないことが多かったのですが、今回、「BUB(Business to University to Business)」連携モデル(大学をプラットフォームとして複数企業が参画するイノベーションエコシステム形成型連携モデル)を構築したことによって、今まで全く付き合いのなかったような企業とも一緒にやる機会が増えました。これが、刺激となり新しい研究の種を見つけることも可能となってきました。
今後は、BUB体制をベースに、COIでやったノウハウや知見を活かして、次の後継組織に活かして流れを発展させていくと思います。
和賀)今回のCOIの取り組みは、新しい「何か」であることは間違いないと感じています。大学にとっても企業にとっても社会にとっても。特に日本社会にとって、恩恵を享受できる枠組みだと感じています。
その中で、大学の役割が重要ですし、すごく期待できる部分です。現状、日本の国立大学の置かれている状況は、とても厳しく、研究費も学生も減っていき、研究されている先生方の社会的地位も下がり、サイエンスのレベルも一時期に比べて下がってきています。
しかし、個々の研究室が閉じた形で研究を行っていくのではないという未来像が見えたので、日本の大学がすごく面白い場所に変わるなという実感があります。日本の社会・経済を支える新しいアイデアをクリエイトする場所としては最高のポテンシャルがあります。時代が変わって、オープンな考え方がドンドン入ってくれば、企業の面白い人たちも大学に入ってきて、大学の中で一緒に働く、学ぶ、アイデアを出すということが起きると、日本にとって良いことが山ほど起きると思っています。
クリエイティブなことをしよう、研究しようということで企業を選択した人たちが、こんな面白い場所があるんだということで大学に戻ってこれるような場所に再設計する。才能が集うような場所になるんだろうなという期待感があります。
末永)大学の研究レベルが落ちている、元気がなくなっているという話は、全くその通り。私たちがこれからやらなければならないことは、中堅・若手の先生方をいかに活性化させるかということだと思っています。COIでもやってきましたが、若手の先生方は優秀なので、チャンスがあれば飛躍できると思っています。そのようなチャンスを与えるような環境を整えるのが大学の使命だと思っています。
COIは9年という長いプロジェクトでしたが、これからのプロジェクトは10年ぐらいを考える長期的な目線をもち、バックキャスティングしていくことが、中堅・ 若手の先生方を育て、日本の研究を活性化することにつながっていくと考えています。