有人与圧ローバが拓く月面社会勉強会
―― まずは「月面有人与圧ローバ」開発の経緯についてお聞かせください
2017年頃、トヨタ自動車の若手とJAXAの若手が集まり、「宇宙をやりたい」という漠然としたところからスタートして、検討を重ねていく中で自分たちの技術や使える部分があるのではないかということで月面探査車に取り組もうということになりました。
私自身も、30年以上前になりますが、会社に入る時から月面車をやりたいと言って1989年に入社。配属にあたり月面車の前に、まずは地球上で一番過酷な環境で走ることができるランドクルーザーのサスペンションの仕事をしたいと希望、開発を続けてきました。次に車全体の企画を勉強し、2006年に無人の自律型ロボット月面車を提案しました。そこには、トヨタの将来のコア技術になるであろう再生型燃料電池や、ロボット、自動運転、通信など、技術の粋を集め、横断型のチームをつくりたいという提案をしました。そのときには提案は却下されたのですが、ロボット宇宙飛行士を開発しながら、諦めずにチャンスを狙っていました。
そうしてようやく2019年に月面有人与圧ローバの開発に関わることができ、30年経ってやりたい仕事のスタートラインに立ちました。
―― どのようなキッカケで「チームジャパン」が立ち上がったのでしょうか
2019年3月に、JAXAとトヨタは、国際宇宙探査ミッションへの挑戦に合意し、2020年代後半に月面に打ち上げることを目指すと発表しました。宇宙業界に参入したい民間企業にも集まってもらい「有人与圧ローバが拓く月面社会勉強会」を開催しました。
有人与圧ローバは、無人ではなく「有人」、つまり宇宙飛行士が運転する車。しかも「与圧」なので、宇宙服無しでも運転できる車両となります。そこでは移動だけでなく、食事をしたり睡眠をとるなど暮らしの要素も入ってきます。想いとしては、この有人与圧ローバの議論を出発点として、将来の月面社会のビジョンや、様々な民間業種間で横断的に意見交換を行っていきたいと考えていました。そこで、持続的な月面活動の実現に向けた検討を促進するということで、100社を超える多くの企業に呼びかけて集まっていただき、この集まりを「チームジャパン勉強会」として発足しました。
©JAXA/TOYOTA
2040年の月面社会を描くフューチャーセッション
―― なぜフューチャーセッションを開催しようと思われたのでしょうか
最初のチームジャパンの勉強会は、JAXAから宇宙業界の目指す方向性や、我々が取り組もうとしている月面探査車で考えていることの共有でした。あとは、参加企業がどんな技術を持っていて、何ができるかというプレゼンテーションが中心でした。住、移動、通信など様々なジャンルの企業から要素技術的な説明をしていただいたので、マッピングのようなものはできてきました。しかし時間も限られている中で、自由に意見が言いづらいし議論も深まらないので、自分たちがどう貢献できるかわからないという状態が続きました。そこで、将来の月面社会ビジョンを作るとか、民間事業者間で横断的に意見交換するとか、月面社会に向けて前向きな検討しようということを具体的に進めていきたいと感じていました。
―― 非常に多くの参画企業の方々がいて、想いや関わり方にばらつきがありそうで、まとめるのが大変という印象があります
多様な人達が集っているからこそ、多面的かつ長期的な視野に立ったビジョンを皆で立てる必要があると考えていました。そのあとで、それぞれの企業は何ができるか、貢献領域を明確にする。能動的かつ自発的な協創活動が活性化するようなことができるのは、それこそフューチャーセッションで解決できる課題なのではないかと思っていました。
―― 実際に開催にあたってどのような困難がありましたか
参加している皆さんが、お互いのことを理解するための対話ができていないという問題意識については共通の認識がありました。100社以上の企業が対話をするために一堂に会する場をつくろうという話にまとまったのですが、残念ながらコロナによって開催が延期となってしまいました。これは、予定外というか予想すらしていなかったことです。幹事会社には「100人以上でもフューチャーセッションはできる」と紹介していましたが、それはリアルだからできることだと思っていました。
勉強会の方も、リアルで集まることが難しい状況が続いたため、オンラインで開催しようということになりました。その際に、セッションはオンラインでできるのか?という疑問も出てきました。
―― まさに想定外の問題でしたが、どうやって乗り越えられたのでしょうか
そもそも月面社会を考えた時に、月面にいるかのような感覚で自分ごと化したシチュエーションの方が、リアルにアイデアを考えられるのではないかと思っていました。実際にコロナによって、緊急事態宣言が出て自粛生活に入ったら、外に出られない、通信でしかやりとりできない、あらゆる行動に制限がかかる。実は、それが正に月面の環境に近いじゃないか!ということに気付きました。だからこそオンラインでセッションをやってみてはどうかと発想の転換を行いました。実体験として自粛生活をおくってきた人たちがオンラインでやることが、まさに月にいる生活者と同じ感覚になれるのではないかとチャレンジしました。
―― 実際にオンラインセッションを開催してみてどのような成果がありましたか
もともと技術中心ではなく「人中心」、それも訓練を重ねた宇宙飛行士ではなく、「一般の生活者」の視点で月面社会を考えたいと思っていました。宇宙飛行士の方々は、宇宙空間での生活に快適さを求めているわけではなく、どのような過酷な環境でも我慢できる状態を訓練されています。しかし、2040年ともなると、一般の人が月面社会で生活することになっていきます。そうしたときに、このコロナによる自粛生活で、家族や子どもがどれだけ辛かったか。自分もどのようにストレスが溜まったのか、そういう実体験を月面社会に置き換えることで、大事なものはその中にヒントがあったのではないかと思っています。
例えば、あるチームは、「おじいちゃん、おばあちゃんというお年寄りの立場でやりたいこと」が出てきました。これまでの技術中心で話していたときは、なかなかソフトの話が出てきませんでしたが、今回は多くのソフトのアイデアが出てきました。
今まで「住む」とか「移動」というハードに近い行動でしか社会を描けていなかったところが、「ストレス」や「エンタメ」など、横断的な課題が出てきました。
それと「水」が相当大事だということ。風呂に入りたい、温泉に浸かって地球を見たいといった話が出てくる中で、「清潔に暮らしたい」という話が出ました。
今回の月面社会のオンラインセッションは、皆さんがコロナで月面社会での暮らしを疑似体験できたからこそ、多様でリアリティある月面社会のシチュエーションがたくさん生み出されました。
チームジャパン今後の展望
―― 今回のセッションの中で印象的だったことはありますか
スペシャルゲストとして参加頂いていた宇宙飛行士の若田光一さんも「生活者、人中心で考えていくことで、見えていなかった課題が発見でき、とても大切な視点ですね。日本の技術力というのは強みだからバラバラでなく力を合わせていくことが大事です。」と語っていただきました。まさにチームジャパンでやることが、これから私たちが月面に向かっていく中で大切にしなければいけないことだと実感できました。
参加者の方々も、セッションの最中は、皆さん本当に楽しそうにされていました。会社や役職、年齢、そういったものが関係なく若い人やおじさんが、ワクワクしながら将来の月面社会を語っていました。
また、通信環境やマシンの状況で、うまくオンラインにアクセスできない状態だった方もいましたが、チームの中で、自然と助け合いが起こっていたのが印象的でした。オンラインの中でも、リアルに近い感覚で、人が接していたのではないかという感覚を持つことができました。
―― 今回のセッションの結果を受けて、次はどのようなアクションがありますか
今回のセッションで25ものチームが生まれましたが、その後の勉強会にて、各チームからどう活動を継続していきたいか報告していただきました。その報告を踏まえ、各チームのテーマを引き継ぎながら、改めてそれぞれの参画企業として、どう関わっていくのか考えていただき、チームメンバーを再編成しました。統廃合して現在15チームに絞り込まれました。
それぞれのチームごとに、2040年の月面社会実現に向けて、活動計画を立案してもらっています。
大きなマイルストーンの一つとして2029年に有人与圧ローバを月に送ります。それは今までのような宇宙服を来た宇宙飛行士が操縦するようなバギーではなく、宇宙服を脱いでそこに暮らす要素も入る画期的なものになります。移動型月面基地、移動型月面社会とでもいうようなルナクルーザーとなります。
このフューチャーセッションから生まれたチーム活動の中から、1個でも2個でもルナクルーザーに入れ込むアイデアが実装されて、国際探査に協力できたら非常に嬉しく思います。
2040年の将来に、コロナ禍の中でたくさんの人たちと月面社会のビジョンを共創したよね、テーマを考えたよね、それがやっと今実現したよね、と振り返ってみると、今回のセッションが起点になっていている。そんな未来が来るような気がします。それだけの良い機会と場になっていたと思います。